八百長とは?過去の八百長事件を振り返ってみた

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日馬富士の貴ノ岩への暴行事件で、相撲人気は再び冷え込んできたように感じます。

一時期相撲人気が冷え込んでいたのは、八百長事件があったからです。

この八百長ですが、その起源はどこに由来するのでしょうか。

今回は、八百長の由来とともに、八百長騒動になった出来事について紹介したいと思います。

八百長とは?

八百長という漢字から、おそらくその由来が想像できるのではないでしょうか。

そうです。八百長の由来と、八百屋とは関係あるのです。八百屋の長兵衛というひとのあだ名が、八百長だったのです。

この八百長という人物、大相撲の伊勢ノ海親方と知り合いで、よく囲碁を指していたそうです。

そして、伊勢ノ海親方の顔色をうかがうために、八百長さんはわざと負けていたみたいですね。これだけ見ても、この相撲の親方と八百屋の主人との関係が見えてきて面白いです。

ところが、この八百長と本因坊秀元という囲碁の家元が対局することになりました。八百長が善戦してしまったために、この男の実力が明らかになったのです。

まさか相撲の親方と、囲碁の実力者が同じ実力であるわけありません。八百長さんがお情けで行なっていた行為にならって、八百長と呼ばれるようになりました。

八百長の起源が、相撲と関係あるというのは皮肉ですね。

過去の八百長事件まとめ(野球編)

1969年頃に黒い霧事件というのが起きました。

西武ライオンズの前身をご存知ですか。

西鉄ライオンズという、福岡を本拠地とした球団でした。そのチームの永易将之という投手八百長をしているのではないのかと疑われました。

疑ったのは、西鉄球団でした。

調査の結果、永易は暴力団関係者からわざと試合に負けるよう依頼されていたのです。

ところが、この情報がどこからか漏れてしまったのか、新聞や週刊誌で取り沙汰されるようになったのです。事態は収拾困難なまでに、拡大していきました。

結局、西鉄の選手だけでなく多くの選手が関わっていることが明らかになり、永久追放になってしまった選手もいました。永久追放された代表的な選手は、池永正明投手です。

西鉄球団はこの事件で大打撃を受け、身売りしてしまいました。また、名誉回復運動などもありましたが、永久追放が解除されてはいません。

八百長とは異なりますが、西鉄球団の永易が報道されると次は巨人の投手コーチ藤田元司が暴力団と関わりがあったとして「西鉄の次は巨人」とやはり大々的に報道されてしまいました。

藤田は義兄の経営する会社の代表取締役で、この会社の役員(Aさん)と対立したため、Aさんにやめてもらうようとある人物(Bさん)に依頼します。

このBさんこそが暴力団員だったのですが、藤田と義兄はBさんが暴力団員とは知らずに依頼してしまったのです。

暴力団員BさんはAさんを辞めさせるため脅迫まがいのことをし、さらに藤田と義兄からAさんへの退職金まで着服したのです。

藤田と義兄は被害者なのですが、各報道機関に藤田が暴力団員と関係を持っていると報道されてしまったのです。

永易に続いて藤田まで暴力団関係の不祥事が報道され、プロ野球全体を取り巻く暴力団との関係(=”黒い霧”)を追求する動きが始まり、ついには国会で取り上げられるほどの大問題となりました。

実はこの頃のプロ野球は八百長が習慣化しており、八百長に一度でも関わった(または一度でも誘いを受けた)選手を全て追放すると野球ができなくなるレベルだったのです。

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