【柔道編】オリンピック日本代表の過去の成績

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オリンピックで柔道がはじめて行われたのが、1964年の東京オリンピックです。

それからもう50年もたちます。当時は、柔道は日本のお家芸でした。

もともと日本の伝統的な武芸でした。

しかし今では、海外でも広く普及し、もはや日本のお家芸とは言えません。

そこで、今回はオリンピック代表の過去の成績をピックアップしたいと思います。

1964年 東京オリンピック

はじめて柔道がオリンピックで採用された大会です。

たった4階級しかなかったのですね。

73kg級
90kg級
100kg超級
無差別級

「日本代表なら金メダルを獲って当然」と言われていました。

しかし、無差別級だけは金メダルでありませんでした。

金メダルを獲ったのは、オランダのヘイシンクです。

もしかすると、名前を聞いたことがあるかもしれません。

逆に当時の無差別級の日本代表の名前が浮かばないかもしれません。

神永昭夫という柔道選手が日本代表でした。

ヘイシンクに敗れ、銀メダルに終わったのです。

最近でも、銀メダルというだけでも批判を浴びるのですから、当時神永の浴びた批判は相当なものだったでしょう。

もっとも神永は怪我をしていましたし、致しかたなかったのだと思います。

1984年 ロサンゼルスオリンピック

1980年のモスクワオリンピックは、当時アメリカとソ連(現在のロシア)が冷戦状態ということもあり、日本はボイコットしていました。

「モスクワオリンピックなら金メダル」と言われた選手も多かったです。

たとえば、マラソンの瀬古利彦はそのひとりです。

山下泰裕もまた金メダル確実と言われていました。

何年も連続して世界選手権で優勝していました。

けれども、全盛期のときにモスクワオリンピックに出場できませんでした。

4年後のロサンゼルスオリンピック。すでに峠を過ぎた山下が金メダルを獲れるのか。

運悪いことに、山下もまた1964年の神永と同じく試合前に怪我をしてしまったのです!

決勝まで進んだ山下の相手はエジプトのラシュワン。

そのラシュワンを破って金メダル!4年越しの悲願を達成しました。

怪我していた山下の右足を攻撃しなかったからラシュワンは負けたのだと言われましたが、これはあまり正確ではありません。

山下自身が、ラシュワンが右足を攻撃してきたと証言しているからです。

そしてそれは別に悪いことでもないとも言っています。

2000年 シドニーオリンピック

女子柔道がオリンピック競技に加えられたのが、1992年です。

谷亮子(当時は田村)は実力世界一ながらも、なかなか金メダルには届きませんでした。

1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会と連続で銀メダル。

勝負弱いのではとも言われました。

そして3度目のオリンピックのシドニーで、とうとう金メダルを獲得しました!

ようやく金メダルを獲った瞬間の田村の涙は忘れられません。

ちなみに次の2004年のアテネでも金メダル。

野球選手の谷佳知と結婚していましたので、「田村でも金、谷でも金」は流行語にもなりました。

2016年 リオオリンピック

男女ともに7種目に増えた柔道ですが、金メダルは男2個女1個の合計3個だけです。

もはや柔道は日本のお家芸ではなくなりました。

柔道という武芸がスポーツ化していったのです。

世界に普及したという点では嬉しい反面、武芸としての側面は失われつつあります。

柔道着の白色には意味があったのですが、いまでは青を用いたりします。

まとめ

こうやって過去の成績を一部だけピックアップしても、柔道の歴史の長さを感じます。

東京でのオリンピック開催は2度目。

日本に意地をみせてほしい、という言葉では簡単には片づけられないくらい柔道は普及しました。

しかし柔道発祥の地日本としては、日本選手に頑張ってもらいたいというところですね。

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