川崎宗則選手の日本時代の成績

シェアする

2018年3月に川崎宗則選手が球団側と自由契約の意向を固めたと報道があり、さらに球団側からのコメントで「野球から距離をおいてみようと決断しました」とあったそうです。

引退するのでは?と言う声が大きい中で、もっと現役で続けて楽しませて欲しいと言う声もあります。
そんな国内・国内外で多くのファンに親しまれ・また愛された川崎宗則選手の過去の成績をまとめました。

高校時代

鹿児島県にある県立鹿児島工業高等学校で野球部に入部しました。
3年在籍しましたが残念ながら甲子園へ出場は果たせませんでした

1999年のドラフト会議でソフトバンク(当時の福岡ダイエーホークス)に4位で指名されました。
ちなみに高校時代では俊足・安打製造・左打ちとの事から地元でサツローと呼ばれていました。
幼少の頃からイチロー選手に憧れていた川崎選手は大変喜んだそうです。

ダイエー時代

実は1軍登用までは長くしばらくの間ウエスタン・リーグに出ていました。
ウエスタン・リーグ公式戦に2000年から遊撃手として起用され、また2002年には首位打者に認定されました。

実はこの時に持ち前の俊足を活かし29個もの盗塁を決めます、リーグ2位という記録でした。

二塁手として2002年に一軍公式戦に出場し、続く翌年から三塁手としてスタメン出場を果たしました。
またこの年ではチームがリーグ優勝を果たします。

川崎選手は打率.294、2本塁打、51打点、30盗塁の好成績でチーム優勝に貢献しました。

2004年に遊撃手のレギュラーが固定され最多安打・盗塁王を獲得し定着しベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得しました。

ソフトバンク時代

2006年に開幕されたWBCに日本代表に選出され、夢であったイチロー選手と同じチームで日本優勝に貢献しました。

またこの時にアリエル・ペスタノ選手のブロックを紙一重で躱した事により「神の右手」として話題になりました。
しかしこの時のプレーが原因で右ひじのケガをしてしまい4月中旬までシーズン出場できませんでした

また翌年、翌々年と打率3割を超えた上に盗塁を44個決めチームに貢献しました。

2009年に再びWBCに出場し盗塁・安打を絡め再び優勝に貢献しました。

また翌年には選手会長にも就任、通算安打1000本シーズン安打190本を叩き出し大きく活躍しました。

2011年には海外FA件を使用してイチローの居るメジャー挑戦を目指しました。

またこの時のインタビューで「イチローさんと一緒にプレーできるなら、マイナー契約でも構わない。どのポジションでもやる」と発言しており、いかにイチローを尊敬していたのかが分かります。

まとめ

以上が川崎宗則選手の日本時代の成績をまとめたものになります。

高校時代は甲子園に出場は叶わなかったものの、非常に優秀な成績を残しており目立ったそうです。

ダイエー・ソフトバンク時代も持ち前の俊足と打撃センスを活かし数多くの記録を達成しました。

川崎選手はムネリンの愛称で呼ばれ国内・国外からも本当に愛された選手です。
もし引退しても笑いを届けるあの姿をもう一度見せて欲しいものです。

シェアする

フォローする